「先生は無茶を言ってます!」
「今更何を言っている。三ケ月前にあんな大火傷をしておいてピアノコンクールに出場しようなんて考える方がよっぽど無茶だ」
新条先生は返事に窮したあたしを真正面に見据えた。
「だが私は、そういう無茶な患者が好きでね。何にせよ、成功する人間はどこかで無茶をするもんだ。平坦な道、穏便な場所に恋々とするヤツは山にも登れないし、ましてや空を飛ぶことなんて絶対にできやしない」
ー 本書「さよならドビュッシー」より ー

さよならドビュッシー/中山七里 著/宝島社
16歳の遥は高校音楽科への推薦も決まり、ピアニストを目指して従妹のルシアと共にピアノレッスンに励んでいた。
ルシアは遥の従妹で、インドネシアでスマトラ沖地震にあって両親を失ったため、叔母である遥の母親に引き取られた少女だった。
そんなある日、祖父と共に火事に巻き込まれ、ただ1人残った彼女も大火傷を負ってしまった。皮膚移植後は指もほとんど動かなかったが、ピアニストになる夢を諦めずにリハビリをしながら、コンクール優勝を目指して猛レッスンに励んだ。
そんな彼女を、新進気鋭のピアニストの岬洋介が個人指導して、すばらしい上達を見せ、順調に夢に近づいていくと思われたのだったが、彼女の周囲で不吉な出来事がつぎつぎと起こっていき、ついに殺人事件にまで発生するのだった。
主人公をはじめとした登場人物に、興味をそそられる要素が多分にあります。
まず、皮膚移植で思うように指が動かせないことでさじを投げた今までのピアノ教師に代わって、指導をかって出た岬洋介という若いピアニスト。このピアニストを、彼女の祖父はこう語っています。
「いや、綺麗ちゅうても顔の造作やなくてな。黙っていても知性の窺える面差しなんや。それに……何かこう、立ち振る舞いがな、昔気質の男みたいに背中に一本びしっと芯が通っとる。
遥は知らんやろうが、戦時中の将校なんかが丁度あんな風やった。物腰こそ柔らかそうやが、なかなかどうして、彼奴は見かけよりは遥に強靭な精神を隠しとる。……」
いわば彼が王子様の役を担って、影となく日向となって、彼女を支え励まし導いていく。そういう岬にも翳の部分があることが、やがて明らかになっていくのですが。
この作品は第8回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞しています。
大森望(翻訳家・評論家)氏が、音楽スポコンもので爽やか音楽青春と意外な結末の異種配合と評していますが、確かにピアノ曲の運指などの演奏技術について専門家はだしの解説が圧巻です。たとえば、ショパンのエチュードでは、岬洋介が模範演奏をして、その弾き方を説明する場面をー
指の動きを目で追うが、その指は残像を残すだけで目にも留まらない。手の平が微妙に傾いたまま指と指が絶えず絡み合う。高速でありながら官能的な動きは、凝視していると眩暈を起こしそうになる。
「第二小節では下向パターンになるけど、拍が変わる箇所で手の平を縮める。こういう二小節のパターンは上下のアルペジオなんだけど、この手の平の伸縮が配置箇所を変えることで聴く者に驚きと緊張が生まれる。そして弾く者には手が鍵盤に纏わりつくような感覚を与える……」
……鍵盤はまるで湖面に湛えられた水が風に吹かれるように指に沿って波打つ。……
こういう箇所が本全体の随所にちりばめられていて、読者は何処かからピアノ曲が聴こえてくるような錯覚に陥るのではないでしょうか。
まあ、それよりも圧巻だったのは、ラストの大どんでん返しでしたね。一応、私もある程度の仮説を想定しながら読み進めていきましたが、結局、途中までは当たっていましたが、肝心のところは意表を突くというか、禁じ手に近い感じで驚きました。
でも、そうしてみると「さよならドビュッシー」という本の題名の謎や、全ての疑問が、するすると納得する形で収まるので、若干医学的に問題はあるとしても、ミステリとしても面白く読めました。
いつもありがとうございます。ちなみに私の好みとしては、ドビュッシーよりもショパンなのですが、こうして何かを書いたり考えに集中する時には、むしろサティでしょうか。ショパンだと、曲に聴き入ってしまうので。
こんにちは。ちなみにスティーブン・キングは、ヘビメタをかけて創作していたようですが。あの緊迫した場面は、確かにそれかも。