「え、何をめざすって?」
サジットが聞きかえした。
「自己ベストよ。自己ベスト記録とも言うわね。今日どんなタイムで走ったとしても、明日はそれよりも速く走ろうとがんばることよ。自分のベストをつくすの。ほかのだれのでもない、自分だけのベストをめざすのよ」

サイド・トラック/ダイアナ・ハーモン・アシャー作/武富博子訳/評論社
主人公のジョセフはアメリカの中学校に通う12歳で、ADD(注意欠陥障害)という問題をかかえています。ジョセフによれば、それは集中できないのではなく、間違ったものに集中してしまうのだという。
学校ではパワーのあるチャーリーにイジメられて、いつも逃げ回っています。そんなジョセフにとっての、学校での居場所が通級指導教室でした。ここではジョセフのようなLD(学び方の違いの略。学習障害とも)のある子たちが頭の中を整理したり、補修を受けたりする場所です。
日本は一般の子供とLDの子供とは、別の教室に分かれて担任も違うので、この話のようにふつうの教室の子に目を付けてイジメられたりすることも少ないようなのですが、アメリカの中学校では担任の先生は決まっていません。
ホームルームの教室や自分専用の机もなく、科目によって教室を移動し、荷物はロッカーに入れます。選択科目もあるので、生徒ひとりひとりが異なる時間帯を持っています。ちょうど日本の大学を思い浮かべるといいのかもしれませんね。
そんなわけでジョセフは通級指導室の授業もあれば、ふつうの生徒と同じ科目もあってみんなと同じように受けています。これはみんなと同じ環境で学べるといういい面もあれば、イジメられたり、疎外されたり、卑屈になったりという悪い面もあります。
何をやっても自信が持てないジョセフに、通級指導教室のT先生は新しく出来た陸上チームに入ってクロスカントリー走をやることをすすめます。
集合場所に行ってみると、このT 先生が陸上の監督だとわかります。先の「自己ベストをめざすの」といったのは、このT監督でした。
自己ベスト・・・ジョセフはこの言葉が気に入ります。ビリだけど、それだったら出来そうな気がしてきました。
このお話にはもう一人、背が高く男子勝りに運動神経がいいヘザーという女の子が登場して、ジョセフの陸上の仲間になります。彼女はジョセフとは逆に、男子よりも運動能力がいいので生きづらさを感じています。
彼女は2008年の北京オリンピックの円盤投げで金メダルを取ったスティファニー・ブラウン・トラフトンを尊敬しているのだといいます。いつもイジメられているジョセフは、からかわれるのを警戒してこういいます。
「ほんとうに金メダルを取ったんなら、名前くらい聞いたことあるはずなんだけどな」
「そう?」
ヘザーはこっちに一歩、足をふみだした。
「有名にならなかったのは、みんなが気に入るような見かけじゃなかったからじゃない? 背が百九十三センチ、体重が九十五キロあって、円盤だって砲丸だって、たいていの男の人より遠くへ投げられる。でも、みんなが応援したいのは、小柄な体操選手やかわいいビキニのビーチバレーの選手でしょ。だからだれも名前を知らないんじゃないの? オリンピックの金メダリストなのに」
百八十センチ近くありそうなヘザーは、怒りのかたまりのようになっている。でも、目をしばたたかせていて、まるでぼくが泣くのをこらえているようにも見える。
アメリカでもそうなのかと思ってしまいます。
だけどヘザーは負けていません。戦います。両親をバカにされたりしたら、黙っていません。ヘザーはジョセフにいいます。
ジョセフは戦わない。他の子たちに踏みつけられたままになっている。ボールが飛んでくると避ける。ビリでもそんなに気にしない。どうしてそうなんだと。
ジョセフが取り組んでいるクロスカントリー競争というのは、野原や起伏のある丘や森の中の小道といった自然環境の中を走るスポーツです。
ジョセフは気が逸れてしまうという障害のため、走っている途中でいろいろな空想に耽ってしまったりするのですが、ヘザーや両親、祖父、T先生、それからイジメっ子のチャーリーや卑怯な手段を使って大会に勝とうとする他校の生徒など、さまざまな出来事を糧にして、自分なりに考えながら少しずつ成長をしていきます。
それをジョセフ自身の言葉で語っているところがいいですね。こんなふうに。
ヘザーがチャリ―をなぐってからというもの、チャーリーはぼくたちのことをだいたい放っておいてくれるようになった。
「手を出さないで言葉を使いなさい」っていう保育園のころから言いきかされているルールに、ちょっと疑問をもたざるをえないよね。でも、人の顔をパンチしてしまうといろんなことがおこるから、やっぱり原則としては言葉を使うのがいいのかも。できるときはね。
この言葉には、唸らされますね。考えさせられるというか。実際にパンチしたらどうなったかを、ちゃんと書いているのでそういう考えに至った経緯がよくわかります。
ランニングについては、読者の中には走るのが得意だった人もそうでない人もいるでしょう。私は小中学校の頃には、いつもクラス代表選手に選ばれていたのですが、それは短距離走で、学校のマラソンは苦手でした。学校のだからマラソンっていっても、5~10キロ程度なんですけどね。
校内マラソン大会となると、だいたい中盤では歩き始めてしまいます。そして、ゴールか近くなった頃からまた走り出して、全体の真ん中辺でゴールするという、ペース配分のダメダメな走りをしていましたね(笑)これ、怒られるやつです。
だからジョセフのような経験はありません。でも、ジョセフは自分が経験したことと心情を、そのまま素直に書いているので、読者もジョセフといっしょに伴走しているような気持ちになります。ラストはジョセフとゴールテープを切ったようなさわやかさがあります。
それで、この本を読んで自分も走ろう・・・とはならなかったんですが、それでも気持ちのいい遊歩道を散歩したくはなりました( ´∀` )
著者 ダイアナ・ハーモン・アシャー さん
アメリカの作家。イェール大学で英語と英文学を那波部。卒業後は出版社と映画会社で勤務したのち、退職して3人の息子を育てる。現在は夫と愛犬、愛猫とともにニューヨーク州スカーズデールに在住。子供達の読書支援や創作を教える活動をおこなっている。『サイド・トラック』はデビュー作。
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サイド・トラック 走るのニガテなぼくのランニング日記 [ ダイアナ・ハーモン・アシャー ]
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いつもありがとうございます。