桜さくら堂

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カフェーの帰り道/嶋津輝/直木賞受賞/感想レビューなど

上野黒門町、池之端仲町の繁華街を過ぎてちょっとゆくと、そこだけ世俗から忘れ去られたかのような、活気のない一角がふいに現れる。……

……商店街と呼ぶには歯の欠けすぎた通りのちょうど真ん中に、稲子の目指す「カフェー西行」はあった。

見たところ店を示す看板はないが、一階の窓の内側にはいかにもカフェーらしく白いレースのカーテンが掛かり、二階の窓は色ガラスになっている。

何より、入り口の脇に西行法師らしい老人の焼き物が置いてあるのがしるしだ。

 

カフェーの帰り道/嶋津輝 著/東京創元社

 

稲子の夫の銀次は高等女学校の教師をしている。尋常小学校しか出ていない稲子は銀次を尊敬していたのだが、稲子に隠れて西行に通っているらしい。そこには竹下夢二に似た美人の女給がいて、銀次はその女給に入れあげている……

という噂を確かめるために、稲子は西行に乗り込んできたのだが……

 

う~~ん、これは直木賞というよりも、週刊誌の三文記事ではないかという疑惑が胸に去来しましたが、それはここまで。

 

タイ子は自分が竹下夢二に似ていることを逆手にとって、さらに厚化粧をして竹下夢二似をアピールすることで、世間から注目されて京橋のカフェーへ誘われます。

当時のカフェーは珈琲だけでなくお酒も出すし、お客の相手もしてチップも貰えるらしいので、現在のカフェーとは少し違うかもしれない。

20歳前後の若い女性が働く当時のカフェーでは、28歳の子持ちのタイ子にとっては、出世ということになります。

 

他に小説の修行でカフェーで働いているが西行に出戻りしたセイや、ウソつきだが面倒見がいい美登里、男爵家の19歳の令嬢といういいはる40歳は超えていると思われる大胆なウソをつく園子など、

個性豊かでどこか憎めない女給が「西行」で朗らかに働き、さまざまな事が起こる大正から昭和にかけての長閑ながらも激動の日々を生き抜いた庶民の生活が温かな視線で描かれています。

 

特に圧巻なのが、後半の戦時下の女給や市井の人々の切なる願いでした。

セイのもとへは朴訥な向井という理髪師が、髪型や服装のアドバイスをしてくれて、やがて恋が芽生え始めたころに、向井は召集されてしまいます。

向井は2年後の昭和16年にいったん戻ってきます。帰還後に向井とセイは店の外でも逢うようになって、長い時間を過ごしますが、昭和18年にふたたび召集された向井は二度と戻ってきませんでした。

 

タイ子は苦労の末タバコ屋を営むようになり、1人息子の豪一も大きくなって穏やかに暮らしていたのですが、その豪一も召集されてしまいます。

戦地にいる豪一にタイ子は手紙を書くのですが、検閲があるため「無事の帰りを待っています」とか「心配しています」とは書けません。

「お国のために成功を上げるのを待っています」などどいう心にも無いことを書かなければなりません。

戦地の豪一からの手紙にも、日付や場所など、あちこちが黒く塗られた手紙が届きます。

「タイ子の店を守るために奮戦する覚悟だ」と書かれてあれば、こんなちっぽけな店を守るために、無茶などしてほしくないと書きたいのですが、そう書くことは許されません。

また今、豪一がどこの戦地にいるのかが最も気がかりなことです。

 

「あの、南方へ行くって」

 タイ子は震える声でもっとも気懸りな文言について問うた。

「ああ、この南下っていうのは南方とは違うわよ。大陸の南の方へ行くってことで、フィリピンやニューギニアに行くわけじゃないわ」

「……そうなのね」

 タイ子は涙ぐみたいほど安堵したが、すんでのところで泣くのはこらえた。

……

 松戸に野菜を貰いに行ったさい三男からの手紙を読んだ豊子さんは、「南方■■■■に派遣」という一文を読んで泣き崩れたそうである。南方が激戦地であることはもう誰もが知っている。

 

そんなタイ子にも、やがて豪一からニューギニアへ行くという手紙が届きます。その手紙には何一つ墨が入れてないのが、激戦地へ赴く兵に向けた同情のようにタイ子には思われるのでした。

 

戦争が終わって豪一の帰りを祈るように待ち続けるタイ子は、ふとしたことで西行を訪れました。マスターはタイ子を覚えていて、珈琲を淹れてくれます。

 

「コーヒーが飲めるんですか?」

 思わず大声で訊き返した。コーヒーなど、最後に飲んだのはいつだったろうか。

……

「コーヒーといってもね、もちろん代用品ですよ。大豆とかのね」

 

カフェ~西行は、もとは「アウグスチヌス」という名前だったのですが、スペルを間違えたのでそれを隠すように西行法師の置物をおいていたら、西行と呼ばれるようになったのでした。そして戦中には、ほんとうに西行に名前を変えたのでした。

どこか長閑な西行には、戦後、傷をいやすかのように前からの常連客や新しいひとがやってきて、心のオアシスのようにして過ごすのでした。

 

それにしても、息子からの最期の手紙を黒塗りしないのがせめてもの情けなんて、切なく悲しすぎますね。戦争では、そんな悲しい母親や妻や恋人が、どれほどたくさんいたことでしょう。

今、こうして当たり前のようにコーヒーが飲める日常がいとおしく、大切に生きていきたいものだと強く思うようになりました。

豪一が帰還したかどうか、園子のウソとは、当時のカフェーのようすなど、どうぞ実際に読んで確認してください。

 


カフェーの帰り道 [ 嶋津 輝 ]

 

いつもありがとうございます。第174回直木賞受賞作になります~。しみじみとしたいいお話でした~

 

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