”「哲学者にならない方法」と言われても、多くの人は不可解に思うだけだろう。
もともと哲学には関心のかけらもないのだから。
ちょうど「コンクリートを食べない方法」が、「油断するとどうしてもコンクリートを食べてしまう」という人以外には意味がないのと同じだ。”

哲学者にならない方法/土屋賢二 著/東京書籍
うん、そうだよね。哲学には私、興味のカケラもないもんね。
と思いつつも、なんということでしょう。その語り口の面白さにつられて、うっかり最後まで読んでしまっていたのでした。
土屋氏曰く。
” わたしは生まれたときからお調子者で、深刻なことが嫌いだったから、哲学は性格的にも合わず、単純明瞭に、官僚への道を進みたいと思っていた。”
そうなのです。
それが大学2年の時(しかも東大)、親の嘆きをよそに哲学の道を志したというのですから、何がその時に起こったのだろうという、まさに推理小説にも似た興味がわいてしまったのでした。
私がミステリ作家の東野圭吾氏の愛読者だということをご存じの方はもちろん、これはきっと推理小説と勘違いしてしまったのだろうとお考えになることでしょう。その推理はあながち的外れではないかもしれません(笑)
土屋氏は自身でも、なぜ哲学の道を選んだのか自身でも不可解でならない。それを解明するのは、生い立ちから・・・
ということで、私はまるで何かの催眠術にでもかかったかように、縁もゆかりもない哲学者の人生につきあわされて読んでいったのですが、これも私自身まったく不可解でなりませんね(笑)
まるで怪しげなモノを売っている販売員のようです。実際、土屋氏はこういう販売員から使えないモノを買わされているのですが、その語り口を絶賛しています(笑)
それで最後まで読んで、謎は解明されたんですか?
って訊かれると、ちょっと自信がありません。ただ、いくつか印象に残ったことがあります。
1つは、” 東大の寮生活のおおらかさ ” でしょうか。この寮生活で人生観が変わったと云っています。まあ、現代ではまさかこんなことは無いと思われますが、どうなんでしょう?
そして土屋氏は、文学を読んだけれど理解できなかったといいます。正直ですね。
それでもドストエフスキーを読んで感銘を受け、ここでも人生観が変わったと語っています。
中身の深さと当時に、その語り口の面白さにも影響を受けたようです。その影響を受けた文章が、この本書で発揮されているわけです。
かくいう私も学生時代にドストエフスキーを読んだのですが、さっぱり影響を受けませんでしたね。ダメですね。むしろ良かったのか?
これが2つめです。
3つめは、ハイデガーという哲学者の『存在と時間』に衝撃を受けて、これを解明せねばならないと思いつめたということです。これが哲学の道を志した理由と土屋氏は云っているの(たぶん?)です。
しかし私が驚いたのはそこではなく、それがすべて誤りだったということが分かったというくだりです。こう書いています。
” 図書館に通って頭が疲れ切るほど勉強したのも、寝床で眠れなくなるほどあれこれ考えたのも、いつもメモをもち歩き、思いついたことを書き留めていたのも、分かったかもしれないと小躍りしたのも、すべて無駄だった。
わたしがやっていたことは、マグロを求めて富士山に登るような的外れだった。そのことに気づいたとき、哲学科に進学してから十年たっていた。”
哲学はよくわからないけれど、これは痛いですね。
私も時どき、的外れなことをやって時間を無駄にしたように思うことがあるけれど、そうして落ち込んだときには、これからは土屋氏のこの言葉を思い出そうと思います。そうすれば、土屋氏よりはマシかと思って、なんとかそこから歩き出せそうな気がしてきました(笑)
土屋氏は現在(2013年時点ですが)お茶の水大学名誉教授とあります。
『われ笑う、ゆえにわれあり』(文春文庫)、『妻と罰』『ツチヤの貧格』『ツチヤ学部長の弁明』などのユーモアエッセイ集や、『ツチヤ教授の哲学講義』など数多く出版しています。
『われ悩む、ゆえにわれありー土屋教授の人生相談』(PHP)などを矢継ぎ早に発表し、在庫に花を添えている・・・そうですよ。
いつもありがとうございます。さて、この本はユーモア集でいいんでしょうか? それさえもちょっと分かりませんね。面白いことは確かなんですが・・・