「ここに積もった哲おっちゃんの堆積物も、調べてみたら何かわかるかもしれへんな」
「何かって?」
「哲おっちゃんの頭の中や。もしお前があの人の立場やったら、どういう順番で捨てる?」
ー 略 ー
「で、その次が、レコードとCDのコレクションや。廃番になってるのもあるやろうから、すぐ捨てる気にはならへんかったかもしれん」
しばらく黙っていた兄貴が、暗闇を見つめたまま、ぽつりと言う。
「――ハイエイタスやな」
「ハイエイタス? 何やそれ?」 ー 天王寺ハイエイタス より ー

月まで三キロ/伊予原 新・著/新潮社
「月まで三キロ」「星六花」「アンモナイトの探し方」「天王寺ハイエスタス」「エイリアンの食堂」「山を刻む」の全六話の短編集になっていますが、どの話もひたむきに生きる人達の日常を書いていますが、どの話もまた、どこかしら科学者の視線が感じられる新鮮な話になっています。
作者の経歴を眺めると、神戸大学理学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科で地球惑星科学を専攻し、博士課程を修了とありました。なるほど。
『お台場アイランドベイビー』で横溝正史ミステリ大賞を受賞とあります。そういえば東野圭吾氏も理学系でミステリー、と短絡的に結び付けて納得した気分に(笑)
「月まで三キロ」は、人生が上手くいかず「負けがこんでいる」四十過ぎの男性。
ひょんなことから乗り込んだ深夜の個人タクシーに、自棄になって行先を「富士山の鳴沢村」と伝えると、「自殺の下見じゃないですよね?」と疑われ、それなら近くでいい場所があると云われ案内されます。
着くまでにタクシーの中、月についての科学的な内容を含んだ会話で、二人の人生のバックグラウンドが垣間見えてきて、ラストが秀逸でついホロリと・・・。
「星六花」は、婚期を逃した女性が合コンをして、そこで知り合った男性が同じくらいの年齢の気象庁に勤める気象オタクでした。
「降水確率0パーセントというのは、絶対に雨が降らないという意味ではないんですよ」から始める気象についての科学的な情報は、意外と面白い。
屈折した二人の恋愛事情はあるのだけれど、クリスマスに二人は雪の結晶を撮影しようとします。そこで自分たちの思いがいかに屈折していたのかに気がつきます。
そうだ、確かに。
この世界で、美を誇っているのは、花や鳥や人だけではない。
雪の結晶、雲や空が垣間見せる、無機質の美。見つけられることを望んですらいない、ただそこにある美。潔く、はかない美。
わたしだって、それは良く知っている。知っているのに――。

「アンモナイトの探し方」は、都会の合理的な考え方の小学生の朋樹。
将来を見据えて塾も頑張っていたが、両親の不和が影響したのか精神的に病んでしまい、祖父母が住む北海道へ療養に来て、そこでアンモナイトを掘っている戸川という高齢者に出会います。
戸川と一緒に化石掘りをした朋樹は・・・
「天王寺ハイエイタス」は、哲おっちゃんを甥の視点から描いています。
現プータローの哲おっちゃんは元プロのブルース・ギタリストで、元ライブハウスの店長で、元バーテンダーで・・・という人物。
女房が妊娠中に浮気したせいで出ていかれてしまい、「音楽をやめて家族のために尽くす」と言ってもダメで、子供にも会ったことがないという。その子が成長して音楽家を目指すようになって、哲おっちゃんの自分に対する気持ちを知りたいと言ってきた。そこで兄貴に相談した。
ハイエイタスと云ったのは、つくば国立環境研究所で海底の堆積物の研究をしている兄貴で・・・
「エイリアンの食堂」は、母親を亡くして、小さな食堂をやっている父親と暮らしている幼い鈴花。そこへ毎晩決まって8字45分にやってくる女性客があり、その人を鈴花は「エイリアン」と呼んでいた。
その女性はどうやら高エネルギー加速器研究機構というところで働いているらしいとわかったのだが、ある日を境にぷつりと来なくなってしまった。そこで二人は・・・
「山を刻む」は、家族のために主婦業を務めてきたわたしは、お義母さんの誕生日に置手紙を残して、若い頃から好きだった山へ登るのだった。
そこで火山の研究をしているという大学の先生と生徒に出会い、ひょんなことから同行することになる。2人のリュックには、岩がぎっしりと詰め込まれていた。
「――僕ら火山研究者は、できるだけ細かく、山を刻むんです」
それを聞いて、夫や子供や義理の父母に尽くしてきたことを重ねて、自分も家族に刻まれてきた山なんだと思うのでした。
尽くすことを当り前だと思っている義理の母や、自分勝手な夫、社会に出て上手くいかず引きこもっている長男、お母さんのようにはなりたくないとフランスに行ってしまった長女など、自分のやってきたことに虚しさを感じていた。
だけど山を愛する子弟との出会いが、わたしにある決断を・・・・
科学的な内容を読者に分かるようにかみ砕いて話にちりばめているところが、新鮮感じましたね。
それぞれの登場人物も地味で、どこか屈折していたり、上手く行っていないところがあります。それは自分でもあるような、どこかで出会ったことがある誰かであるような、そんな普通の人達です。
なかなか上手くいかない人生で、もがきながら必死で生きているところが、切なくて胸に迫るところがありました。
またそこに科学的な視線を投げかけることによって、今までと違う方角からの見え方が出来て面白いですね。
科学者が地味な採集の積み重ねをコツコツと続けているのが、それぞれの話の中から見えてきました。気が遠くなるような集積物の中から、何か光るものを見つけるのは、砂漠で砂金を見つけるようなものかもしれません。
私たちの人生もまたしかりだと思うと、どこか焦りが抜けてほっとするような気持ちになります。
まあ、ぼちぼち、いこか。
・・・というような。
多くの話が何かを収集するという科学者的なものですが、天王寺ハイエスタスだけは、哲おっちゃんがどんどん捨てていく・・・でも、捨てたものが堆積して、そこから推論を立てるというのも科学的で面白いですね。
この本は、新田次郎文学賞受賞作になっています。
いつもありがとうございます。